生い立ち

読むの10分かかるよ|旅人ブロガーあんにゃの生い立ち

だいぶ今更感はあるんですが、ここらでワタクシあんにゃの生い立ちについての記事を書こうと思います。

少々長くなりますがお付き合いください。

 

自分にできないことなんて何もない|幼少期

私の父と母は、かなりの子煩悩で、私がやりたいと言ったことはすべてやらせてくれました。

 

おまけに、楽天家なところもあって、

「これ、やってみたい!」

と言うと

あんたなら絶対できるよ!

プロも目指せる!

となんの根拠もなく背中をガンガン押してくる両親でした。

 

そして、

やるからには一番になりなさい

とも言われていました。

 

当時は子供で純粋だったため、「自分にできないことなんて何もない。そして一番以外意味はない」とかなりの自信家になっていきました。

スノーボーダー時代

なんでもできると信じ込んでいた私がハマったのがスノーボード。5歳から始めて、両親から

「頑張ればうまくなる」

「うまくなったら大会も出れる」

「あんにゃならプロになれるかも」

とか言われ、無邪気に信じ込んで努力していくと本当に大会に出れたり、運がいいと優勝したりということもでてきて、自信家なところが加速していきました。

 

今思えばかなり生意気なガキだったと思います・・・

人生初の挫折|中学受験

そんな自信家の私が経験した人生初めての挫折。それは中学受験でした。

 

通常、中学受験の準備は小学3年か、遅くとも4年から始めるのですが、私の場合、悠長に構えてしまっていて5年生の終わりから準備することに。

 

もともと要領がいいわけでも頭のデキがいいわけでもないので、当然のごとく第一志望の女子校の結果は不合格。

 

合格発表の掲示板の前で、人生初の屈辱を味わいました。

 

人生って頑張っても報われないことってあるんだな」と虚しい気持ちになったのを覚えています。

 

女って怖いと実感|バトン部時代

滑り止めの女子校は合格できていたので、その学校に通うことに。

 

もともと運動は好きだったので一番華やかに見えたバトントワリングに入りました。

 

が、華やかに見える表とは大違いの裏の世界を目の当たりにしました。

 

いわゆる女の世界です。

 

一番目立つところで踊れるかどうかを決めるのに、単純に技術がいいかどうかというより、先輩に気に入られているかどうかが影響していました。

 

そんな経験から

「妬み嫉みを買わないためには、だれも反論できないくらい圧倒的に突き抜けないとだめ

ということを学びました。

才能の限界を感じた|中学3年

中学のバトン部は土日含めほぼ毎日練習があったのですが、スノーボードは引き続きやっていて、毎シーズン冬になると毎週のように山に通い、練習したり大会に出たりしていました。

 

そして、他のスポーツマンに違わず私もオリンピックに出たいと思うように。

 

しかし、年齢が上がってくると、大会の雰囲気も技術レベルも現実味を帯びてきて、オリンピックに出るのであれば、この人たちと圧倒的な差をつけて勝たなければいけない、果たして自分にはそれができるのか、と考えるようになりました。

 

そして、考えれば考えるほど、自分にはそこまでの才能も覚悟もないと、思い始めてしまったのです。

頭にハチマキ|大学受験時代(現役)

スノーボードは楽しいけど、それを生業にして生きていくのは厳しいかもしれないと遅ればせながら気が付いてしまった私。

 

でも、「何かで一番になりたい」という気持ちは消せなかったので、当時得意だった勉強で勝負に出ることにしました。

 

勉強で一番っつったら東大やろ!!

っていうかなり単細胞的発想で大学の第一志望を東大にしました。

 

そして、中学受験での失敗があったので、かなり念には念を入れて勉強し、願掛けもし、ドラマとかでよくあるハチマキも巻きながら勉強していました。

 

またも失敗|東大不合格

念には念を入れて勉強したはずなのに、

結果は不合格

 

このときほど、息をするのも辛いというくらい辛い想いをした瞬間はありません。

 

何が一番ショックだったかって、

頑張ったら何でもうまくいく」と幼少期に刷り込まれていたのが

頑張ってもうまくいかない人はうまくいかない」と思えてしまったから。

 

自分は頑張ってもうまくいかない側の人間なんだなと思えて悲しかったです。

逃げる人生は送りたくない|仮面浪人時代

中学受験と同様、1校だけ滑り止めを受けていたので、その大学に入ることにしました。

 

中学受験と違って大学受験は、浪人というチャレンジが可能なのですが、死ぬほど勉強しまくったので、浪人するか滑り止めに行くのかの選択を迫られたときは、正直、「疲れたからもう勉強したくない」と思ってしまい、大学生になることに。

 

でも、大学生になってもテレビで東大タレントが出ていたり、「東大に受かるためには●●塾~」みたいなCMが流れていて、そのたびにテレビを消していました。

 

3か月大学に通ったくらいの時、

「自分はこのまま東大と聞いたり見たりするたびに目を背けて逃げていく人生を送り続けるのか・・・」

と思い、怖くなったのを覚えています。

 

一生逃げ続けるなんて絶対嫌だ。もう一度チャレンジして、それでもだめだったら完全にあきらめよう。

 

そう思い、大学に通いながらの仮面浪人を決意しました。

掲示板の前で胴上げ|東大合格

高校生の時ハチマキまで巻いて必死で勉強していたのがじわじわ効果を発揮して浪人時代は比較的スムーズに勉強が進んでいきました。

 

大手の塾には通わず、週に1回1時間だけ講義を受けるだけだったので実質一人での受験勉強。

 

塾に行かずに自力で勉強すると、自分がペンを進めなければ一日なにも生まれないので必然的にはかどりました。

 

結局、仮面浪人を始めてからは1日14時間、1日も欠かさず勉強しまくり、なんとか合格。

 

掲示板の前で現役東大生のラグビー部のごっついお兄さんたちに胴上げしてもらったときは、人生で今以上にうれしい瞬間なんてこないんじゃないかと思うくらいうれしかったです。

 

何より、今まで支えてくれた両親に、やっと恩返し的なことができたんじゃないかとほっとしました。

毎晩遊びほうけた|東大1年目

勉強が楽しかったとはいえ、高校時代含め、思春期真っ盛りの時期にやりたいことも見たいテレビもほとんど我慢して臨んだ大学受験だったので、東大に入ってからは

死ぬほど遊んでやるわあああああああああああああああああああ

って感じで毎晩毎晩、誘われる飲みには100%参加。

 

で、毎晩毎晩飲み歩いてると、当然出会いも増えてきて、女子校時代とは比べ物にならないくらい男性とのデートが増えました。

 

当然デートの頻度が増えれば付き合う、付き合わないみたいな話になっていくんですが、女子校出身で経験もほとんどないので、男性とぶつかることも多く、

付き合っては別れ、付き合っては別れを繰り返して、1年間だけで、付き合った人が5人にもなってしまいました。

 

それなりに楽しかったですが、さすがに1年間もデートしかしていないと飽きてきて、

「ちゃんとしよう」と思うようになり、大学2年生からはちゃんとしたサークルにも入り、研究や勉強もそこそこ真面目にやるようになりました。

仕事の楽しさを知ってしまう|インターン時代

大学1年のときの反省があるので、2年生以降はそれなりにちゃんとした大学生活を送っていたと思います。

 

そして、大学院1年生になると、「卒業したら、何しよう」と考えるように。

 

東大だと、大企業へ就職する人や、研究を極める人がほとんどだったのですが、研究にそれほどの興味を持てなかった自分は、企業に就職することにしました。

 

しかし、会社の説明会に行ったとき、大きくて有名な会社や綺麗なオフィスの会社の人から自慢げに会社の説明を受けるたび

いやいや、

その会社作ったんお前ちゃうやろ

と思ってしまいました。

 

その会社を作ったわけでも、その会社を大きくしたわけでもない人から会社の自慢やアピールをされても何も響かなかったのです。

 

そのとき、

大きくて有名な会社に入るよりも、

自分が入った小さい会社を大きくて有名にしたい

と思うようになりました。

 

必然的に、立ち上がったばかりのベンチャー企業に的を絞り、受けていくことに。

 

受ける会社の的を絞っていたことと、学歴に似合わずファンキーな物言いが気に入られて、運よく一番行きたかった会社の内定をもらい、入社までの期間、インターン生として働くことにしました。

 

実際の会社で働くことは予想以上に刺激的で、一気にビジネスの世界に魅了されていきました。

初めてレールから外れる|東大大学院中退~ベンチャー入社

仕事が楽しくて楽しくて仕方がなくなってしまった私は、もはや大学院に通うことも研究に時間を取られることも苦痛になってしまい、卒業までのあと1年、が待てなくなってしまいました。

 

大学院で研究をしている間にも会社では大きなプロジェクトが進んでいる、と考えるだけでストレスになってしまっていたのです。

 

そしてついに、大学院を辞める決意をしました。

 

両親からしたら、「せっかく東大に入れたのに自分の子供がレールから外れてしまった」とかなり不安になってしまったと思います。

 

一方で、私自身は、やりたいことがやりたいだけできると上機嫌でした。

身も心もズタボロ|ブラックベンチャー社員

鼻息荒く、インターンをしていたベンチャー企業に繰り上げで入社したのですが、実際の勤務体系はインターン生時代とは比べ物にならないくらい差がありました。

 

いわゆるブラック企業だったのです。

 

どのくらいブラック企業かというと

休みは1月に1日あればラッキー

・勤務時間は朝8時~明け方の4時

家のベッドで寝てはいけない禁止令が出される

・寝るときはいつも床に寝袋

・営業のアポイントが取れないと堂々とごはんを食べれない

トイレに行く回数が多いと怒られる

・友人の結婚式ですら出席させてもらえない

・実家に帰ることをとがめられる

・成績が悪いとペンやホッチキスを投げつけられる

時給換算すると150円程度

・夜中に社長に呼び出されて肩を揉まされるときがある

 

こんな感じだったので、いける居酒屋は

空いててよかった磯丸水産

だけでした・・・

 

こんな生活を続けていると当然のように身も心もボロボロで、寝不足のあまりお酒も飲んでいないのにフラフラしてまっすぐ歩くことができませんでした。

 

営業訪問でお客様先にいって、商談中に寝落ちしたこともあります。

 

こんな状況で、「もう、限界」となったタイミングで母親にSOSを出しました。

 

母親は名古屋から飛んできてくれて、PCと会社のカギを私から受け取ると、そのまま会社にいき

「娘を返してください」

と直談判してくれました。

 

洗脳から覚め、生き返る|すねかじり時代

半ば夜逃げのように会社を辞めた私ですが、久しぶりに実家に戻って、家のベッドで寝た時は(ずっと寝袋生活だったのとそもそもほぼ寝ていなかったので)安心しきってしまい、3日間ぶっ通しで眠り込んでいました。

 

食事に関しても、母親が作ってくれた料理を食べていたのですが、

「今日はアポイントを1件も取っていないから私には食べる権利がない・・・」

とつぶやいていて、かなりブラック企業に洗脳されていたんだなと改めて実感しました。

 

しかし、だんだん元気になってくると、次第に何もしていないのがつまらなくなってきました。

それに、東京の家は新宿にあるままだから、このままだと近いうちに家賃が払えなくなってしまう・・・という焦りもあり、とりあえず東京に戻って仕事を探すことに。

 

就活生のときにお世話になった人に良さそうな会社を紹介してもらったりはしていたのですが、無職の期間にアルバイトくらいしておこうと思い、

 

「せっかく無職で昼も夜も空いてるんだから、効率的に夜のバイトで稼ごう」という思考に。

 

人生初の夜の仕事に足を突っ込む瞬間でした。

 

夜の楽しさと厳しさを知る|キャバクラ時代

家が新宿だったので、当然のように場所は歌舞伎町。普段キャッチのお兄さんからスカウトされてもガン無視を通していたのですが、このときばかりは食い気味で

未経験でも大丈夫な店紹介してください!!!!!

って言ってました。

 

最初は慣れないので派遣会社(キャバクラにも派遣があるんすよ)で毎晩違うお店を転々としていたのですが、何回か派遣で行ったお店にとても良くしてくれるお店があり、そこのお店でレギュラーとして働かせてもらうことになりました。

 

このお店では、お客様との接し方はもちろん、目上の人がいらっしゃるときのテーブルマナーや女性の上司との接し方、同僚の中での立回り方、お客様との心理的距離の詰め方や気分よく相手を笑わせる方法などいろんなことを教えていただきました。

 

仕事にも慣れてきて、お客様とのやりとりも楽しくなってくると、夜の世界の楽しさにどっぷりと浸かっていきました。

 

もちろん、大変なことも多いですが、綺麗にメイクアップして髪もプロの方にセッティングしてもらい、ドレスに着替えてお酒を飲む、という生活が気に入りました。

この生活も悪くないな、このまま一生夜の世界で生きていく道もあるな。という気持ちが芽生えてきました。

 

ただ。

 

ある天気の良かった日の夕方に、「そろそろ店に出る準備をしないと」とメイクをしはじめたとき、家の窓からものすごく綺麗な夕陽を見て、わけもわからず涙が止まらなかったときは

「やっぱり今のままじゃだめだと思っている自分がいるんだな」

と気が付き、言葉に表せない虚しさと悔しさがこみ上げてきました。

人に拾われる|たぶん人生最後の会社(A社)との出会い

夜の仕事をしつつ、いくつかの会社の面接は受けていました。

 

最初のキャリアで、ベンチャー企業で失敗しているので、このときは比較的大きい会社をメインで受けていました。

 

だけど、大きい会社は安定と安心の象徴のように思えて、全然魅力を感じられず、結局どこの会社にも行きたいと思えなかったのです。

 

そんなとき、キャバクラのお店にあるTシャツのお兄さんが開店すぐに現れました。

 

聞くと、いつもママ指名のお客様で、かなりの常連さんとのことだったので、緊張しながらもヘルプに入りました。

 

Tシャツだし、早い時間に来ているから当然、

「何のお仕事してるんですか?」

と聞いてみると、ベンチャー企業の社長とのこと。

 

つい、大学院を辞めてまで入った会社がブラック企業で夜逃げするように辞め、今は夜の世界にいるという、自分の身の上話を話すると、

明日から、うちにこい

と突然言い出しました。

 

最初は冗談だと思い、笑いながら受け流していたのですが、ママから私に指名替えしてまでも徹底的に説得してくれたので、

「じゃあとりあえず明日の昼に会社のオフィスに遊びに行きますね」

とほぼキャバクラ嬢としての義理を果たす形で約束しました。

 

次の日、会社のオフィスにお邪魔すると、それはそれは

THE どベンチャー

というオフィスで、狭いマンション?の1室に簡易的なセパレートを設置しただけの部屋で、もちろんエントランスのような受け付けは無く、居酒屋で店員さん呼ぶときに使う「チンっ」ってなるベルだけが置いてある入口でした。

 

オフィスを見学(見学って言っても狭いので3秒で終わる)したあと、社長に昼ご飯をご馳走してもらうことに。

 

そこで、前の晩よりも詳しく、会社の状況であったり、会社として大切にしている信念だったり、社員にどう働いて欲しいと思っているのか、など熱く語ってもらいました。

 

1回はブラックベンチャーで痛い想いをしたはずなのに、あの狭くて決して綺麗とは言えないオフィスで、社員は社長含めて3人、来年潰れてても誰も驚かないような会社にとてつもない魅力を感じてしまいました。

 

そして、直感だけを信じ、気が付いたら

明日から働かせてください

と言っていました。

 

ストイックに働きまくる|営業マン時代

最初の洗礼

初めてオフィスにいってからあっと言う間にそこの社員になったわけすが、最初に私がさせてもらったのは法人営業の仕事。もちろんベンチャー企業なので、ルート営業ではなく、ゴリゴリの新規営業。

 

営業リストからひたすら電話をかけまくって、アポイントをもらって訪問して受注してくるという一般的な営業スタイルの仕事です。

 

私以外の3人の役割としては、社長、マーケター、営業、という構成だったのですが、私が入ってからは営業マン実質一人でやることになり、直属の上司にいろいろ教えていただくことになってました。

 

が。。。

 

いざ教えを乞おうとすると

 

「営業リストってありますか?」

そんなんない

 

「テレアポのスクリプトっていつもどんなの使ってますか?」

それもない

 

「明日の訪問営業の同行、よろしくお願いします!!!」

最近めっちゃ暑いやん?お前ひとりで行ってきて。

 

おおおおおおおーーーまじかああああああ!!!

って感じでしょっぱなから、どべんちゃー感を満喫させていただきました。

「3カ月給料いりません」

ブラック企業から逃げてから久しく社会から断絶された生活を送っていた私にとって、会社で働けるというのはとても幸せなことに感じていました。

 

しかし、世の中そんな甘くはなく、私が営業をする先の業界(法律関係)はネットへのマイナス先入観が強く、テレアポ困難ランキングでいったら相当上位に入るんじゃないかと思うくらい、テレアポで即切りされることが多かったです。

 

そのため、入社して1週間は1日に200件以上電話をかけているのに1件もアポイントが取れないという日が続きました。

 

「せっかく雇ってもらったのに、恩返しするどころか会社のお荷物じゃないか」

と思い、結果を出せていないのに給料だけもらうことが耐えられなかった私は、社長との面談を設定してもらい

「入社して1週間ですが、まだ1件もアポイントが取れていません。このままだと、今月の売上目標を達成できるか微妙です。なので、

3か月間、給料いりません

 

と伝えました。

 

今考えると労働基準ナントカ法にがっつりひっかかるようなことだけど、そのときは社長も私も生きるか死ぬかみたいなところがあったので、

「3カ月無給はだと家賃払えないだろ。家賃分だけ払ってやる」と言ってくれました。

 

家賃を払ってもらったら甘えになりそうだと思ったけど、まったくの無給で働かせるとなると会社的にもまずいんだろうと思い、3カ月、家賃分を払ってもらうことで合意しました。

結果以外、興味ない

3か月間家賃分のみの給料で働くことになってからは、なんだか視界が鮮明になったといか、目の前のことに集中する集中力が出てきたというか、ある種ゾーンに入っていたような感じでした。

 

上司からも「頑張ろうが頑張らなかろうが、どうでもいい。結果しか見ないから」と言われ、必死に毎日を過ごしました。

 

その甲斐あって、入社してから営業マン時代を過ごしていた約1年ちょっと、トータルで見て1度も売り上げ目標を外すことなく、会社の月のギネス売り上げも塗り替えるという、まさに順風満帆な日々を過ごしていきました。

 

この会社に私がいないなんて考えられない!!!

とうぬぼれるほどに、ビジネスライフをとことん満喫していました。

 

仕事の幅を広げる|営業、マネジメント、マーケティング、採用人事

営業の仕事をしばらく続けていると、商品に対して「もっとこうだったら売りやすいかも」とか「こういう商品があったら面白そう」というマーケティング的な部分に興味を持つようになりました。

 

営業からマーケティングに移りたいという話をすると、

「お前が営業から抜けても営業売り上げがかわらない状況を作ってから移してやる」

といってもらえたので、あとを引き継いでくれる営業マンの採用から育成、マネジメント、さらにはその人が一人前に育つまでの売り上げ確保のための営業活動など幅広く仕事をさせてもらいました。

 

営業マン時代とは違い、会社がどういう仕組みで動いていて、どこにどのくらいのお金が使われているのか、全体像もなんとなくだけど理解できるようになったし、新しい仕事内容にも毎日ワクワクしていました。

 

当時デートをしていた男性たちからは、「そんなに仕事が好きなら彼氏とか不要だよね」と言われてドン引きされるくらい、仕事愛の強い人間でした。

何かが違う・・・|そして一人旅

そんな風に、仕事にどっぷり浸かりまくった生活をして、会社から私がいなくなるなんて考えられない!と思っていた私ですが、あるときから気持ちに変化が現れました。

 

それは、会社が上場を目指して会社を整え始め環境に変化が現れ始めたのと同時です。

 

オフィスはきれいに

福利厚生は充実

備品も充実

パワハラ的な厳しいことは一切なし

休日出社も残業も無し

 

一見イイことのように聞こえるかもしれませんが、私から見ると、ツマラナイ、ヌルイと感じてしまうように。

 

そして、休日に仕事をすることがNGとされてしまったので、仕方なく旅でも行こうかと思い1人で南の島、宮古島に行きました。

 

その時に出会った「今」を「必死」で「生きている」旅人に大きな影響を受けました。

 

明日がどうなるかはわからないけど今を必死に生きる。

自分の食べるものは自力で確保する。

壮大な自然の美しさに感動して涙を流す。

 

そんな本来の人間的な生き方をしている彼らに影響を受け、会社というお金と制度で私を守ってくれる場所から出ようと決意しました。

見えない明日を求めて|期限なしの旅に出る

会社を出て、組織に所属せず、自力で生きることはきっと想像以上に厳しいでしょう。

 

その日食べるものがない時もあるかもしれません。

会社員を辞めたことを後悔する日がくる可能性もあります。

 

でも、明日が見えないことよりも、1年後が見えてしまうことの方が私にとっては恐怖なんです。

 

未来が見えないからこそ、私は必死で頑張れるんです。

 

というわけで、2018年の年明けから、期限なしの旅に出ることを決意いたしました!!!!

この決断に自信をもって、明日からも生きていきます。